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「耳を傾ける」シリーズ Vol.3

わかろうとしないで、ただ聴く

誰かの話に耳を傾けるとき、多くの人が自然にこう思います。
「ちゃんと理解しなくちゃ」
「気持ちに共感してあげたい」
「何か、いい答えを返せるように聞こう」

その気持ちは、まっすぐであたたかいものです。
でも、ときにその“わかろうとする気持ち”が、相手の言葉の奥にある“まだ形になっていない想い”を、そっと通り過ぎてしまうこともあるのです。

たとえば――
「そんなに大変だったんだね、わかるよ」
そう言われた瞬間、ふと心が遠ざかったように感じること、ありませんか?

人は、「わかってもらいたい」と願う一方で、「簡単にはわかられたくない」と思う、繊細な生きものです。
特に、自分でも整理できていない痛みや、言葉にしきれないもどかしさを話しているときには、「わかったふり」が、かえって孤独を深めてしまうことさえあります。

「わからないまま、そばにいる」強さ

カウンセリングでは、私は「わかろうとしすぎない」ことを意識します。
もちろん、相手の話を聞き流すのではありません。
ただ、“理解しようとする姿勢”を少しだけ脇に置いて、
“この人の中にあるまだ言葉になっていない何か”に耳をすませるような感覚で、そっとそこにいる。

「そうなんですね」
「今、そう感じているんですね」
たったそれだけの言葉が、救いになることもあります。
なぜならそれは、“わかろうとする”よりも、“寄り添う”ことを優先した言葉だから。

聴くとは、何かを判断することでも、整理してあげることでもありません。
その人がその人であることを、ただ認める時間。
わからないまま、そばにいるという選択。
そこには、静かだけれど確かな力があります。

言葉にならない思いも、ちゃんと届いている

誰かの話を聴いていて、「何も言ってあげられなかった」と思うこともあるかもしれません。
でも、安心してください。
聴くことには、それだけで十分すぎる意味があります。

話す側は、あなたの「耳」だけでなく、「心の温度」を感じ取っています。
ただ黙ってそこにいてくれたこと。
ただ遮らずに、最後まで聴いてくれたこと。
それらがすべて、語られなかった“もう一つの対話”となって、確かに伝わっていくのです。

だから、何も返せなくてもいい。
わからないままでいい。
聴くとは、相手の中にある“まだ見ぬ風景”に、そっと寄り添うこと。
それができたとき、人はふと、安心して自分の中をのぞくことができるようになるのかもしれません。

https://select-type.com/rsv/?id=tPmjurDQByE

https://note.com/kana872/n/n72667a43d50a

https://note.com/kana872/m/mdaaed40b78fd

https://note.com/kana872/m/m713af714d313

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